これよりシン・ゴジラ超ネタバレ10000字の儀を執り行う!

いよいよ公開された『シン・ゴジラ』。

庵野秀明がゴジラを撮ると聞いて、楽しみとはいえ「いったいどうなるんだ…」という気持ちが、「ん?意外と良いかも」に変わり、「楽しみでしかたねぇ!」に変わり、「ガマンできん、絶対最速上映で見る!」になるのにさほど時間はかからなかった。

 

公開日の29日になった瞬間に見れるという最速上映で見て、そのあと深夜3時半からのIMAXで見て、一晩で2回見た。

映画館を出たのは朝の6時。朝日がまぶしかった。

僕がミュージシャンというヤクザな肩書きだったから良かったものの、この一般社会人を殺しにかかる上映スケジュール危険すぎる。

 

と思ったのは僕だけでは無かったようで、争奪戦になるかと思った最速上映のチケットも簡単に取れてしまったし、一部の回を除いては完売もしなかったようだ。

僕なんかブラウザ2つ開いて、0時になった瞬間に連打してたのに。。

そのおかげで劇場のど真ん中あたりというかなり良いとこが取れたので良いのだけど。

あの時、一瞬で埋まったのは30席くらいだったので、他の回も含めると0時になった瞬間に連打していた人は全国で100〜200人ほどと推測される。

 

意外に少ないぞゴジラ信者&庵野信者。どうした日本!興行成績が心配だぞ。

まだ見てない人は、かなりの衝撃的な傑作だし、とにかく庵野演出の冴えは史上最高レベルなので、多くの人に見てほしい。

 

で、ここからはツイッターに書けないネタバレ感想を。

超ネタバレしますので、ご注意を。

 

「(まだ見てない人の)生命の保証はできませんので、お通しすることはできません!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さらばゴジコレ、忌まわしき記憶と共に

この文章は、先日サービス終了が告知されたゴジラのスマホアプリ『ゴジコレ』がサービスを開始した直後、2015年4月29日に僕が匿名でapp storeに投稿したレビューです。
現在のゴジコレは、この時よりは大分改善されて少しはマシになっている(察してください)けど、この時のゴジラファンとしての失意の記憶と衝撃は薄れません。
(ちなみにこのレビューは、消去されてしまいapp storeではもう読めないみたいです。)

ロード・エラー・クソゲー 三大害獣 地球最大の欠点
かえせ!信用を


48時間ほど前からwifi通信環境バッチリでもずーーっと通信エラーが発生していてゲームを開始することすらできなくなったので、せっかくなのでここでレビューを書かせていただきます。長文になります!

客観的に見ればそもそもゲーム続行不可能レベルなので星1つすらどう考えても多いというか、可能なら問答無用でゼロにしたいと思うクソゲーなのですが、この星1つはゴジラという素材をソシャゲの題材に選んでくれたことへの感謝ということにしておきます。
そうです、ゴジラはそもそもここ10年間新作が公開されることもなく冬眠期に入っていました。そのため現役で活躍するウルトラマンや仮面ライダーといった特撮ヒーローに比べてもゲームなどの題材になることが極端に少なかったのです。ゴジラファンは飢えていました。
そこに来て、ハリウッドでのゴジラ復活、そして日本での新作映画の決定と、まさかのゴジラ大復活祭りにファンは湧いています。この祭りによって、やっと定期的にゴジラの様々な商品が供給されるようになりました。
飢えていた時間が長かった分、それがどんな商品であっても、ゴジラであれば喜んで買ってしまう、という悲しい習性がこの10年で身に付いてしまったのです。このアプリのユーザーの大部分はこうしたゴジラファンではないでしょうか。そうして待ちに待ったファンに対して、この仕打ち。悪魔か。1週間の絶食の後に目の前に出されたステーキにかぶりついたらゴムだった気分ですよ。

一番ヤバい不具合の話は後回しにして、まず内容のレビューから。
課金が高すぎる、しかもそれで引けるガチャがあまりにも悲しいショボさという課金面でのダメっぷりはもちろんですが、そもそものゲーム性が単調すぎてヤバいと思います。一応ジャンケン的な属性の概念があるものの、基本的にただのパワーゲーム。数字が強い怪獣を出した方が勝ち、というドラゴンボールの20円カードダスのようなシステム。弱い怪獣でも工夫次第で戦える、みたいな要素が今のところ皆無です。
売りのドンピシャバトルですが、もしかして馬鹿にしてるのか?、という単調さ。タイミング良くボタンを押すというシステム、その判定もびっくりするほどガバガバ。めっちゃズレてるのに「パーフェクト」と出るのですが、パーフェクトの意味わかっているのか心配になります。
ソシャゲというのは基本的に課金して強いキャラを集める、という方向性でゲーム性は二の次なのが多いのは理解してますが、これはあまりにひどい。戦闘が極度に単調な作業にしかならず、かつこのドンピシャシステムのせいでむしろテンポも悪く片手間にもやりづらく時間もかかるという何重苦もの十字架を背負うことになってます。

もう一つ特に気になるのは、怪獣ごとの特色がまったくと言っていいほど無いことです。これはキャラゲーとして致命的!「ゴジラは強い」「ラドンは普通」「メガヌロンは弱い」程度の差しかないのはどうなのか。まだ「スキル」が実装されていないから今後に期待!、という前向きな声も聞きますが、見た感じそのスキルというのも基本的にステータスが増えるだけっぽくて、実装されても「だから何?」ということになりそうで、ものすごく心配です。この単調なバトルは考え抜いたスキルシステムで根本的に改革を起こし、テンポも改善しないといかんです。

で、こういうゲームってゲーム性ダメなぶんビジュアルに凝ってたりするものなのですが、頑張ってレベルアップしてもビジュアルに延々と何の変化も無いのは悲しいを通り越して哀しいです。最低ランクのゴジラも、超絶レアのゴジラも同じ。いや、実は図鑑のアイコンの背景がちょっとキラキラしたりするんですけど、だからなんだよ!
進化的なものも絶対必要です。せめてモスラ幼虫を育てたら成虫になるとかは最初から実装しとかないとダメでは。成虫になることもなく育ち続け、ものすごく強い幼虫になっても虚しさだけが残ると思います。ゴジラは他の作品に比べてキャラ数が少なく、ユニットを色分けして水増ししたり、進化を出し惜しみしたりしたい気持ちはわかります。でもどう考えてもダメなことは、ダメだと大人ならわからないといけません。

ここまではゲーム性に対するレビューで結論を言えば未曾有のクソゲーということなのですが、ここから本番です。ここからが地獄です。ようこそ地獄の三丁目。
とにかく「ロード遅すぎる!」「そもそも起動しません!」「ゲームはじまりません!」「怪獣消えます!」「データ消えます!」という不具合(これってもはや不具合っていうのか?)があまりにも多すぎてゲームとして成立していない。本当に普通のこと言っちゃうけど「なんでこれでリリースしちゃったの!?脅されたの!?」という阿鼻叫喚レベルです。これはマジでヤバい。ヤバすぎる。
不具合に関しては、「怪獣がちょっと浮いてる」「怪獣が巨大な豆腐になる」「出撃したら敵が誰もいなくて戦えない」などのもはや笑ってしまう不具合から、そもそもゲームができないレベルのものまで本当に幅広く取り揃えています。マジ豊富。
とにかく起動しないのは日常茶飯事。謎の通信エラーでもらえるはずの物がもらえなかったり、育てている怪獣が消えてしまったり。怖すぎでしょう。そして極めつけ。公式の不具合アナウンスを見て我が目を疑ったのですが「不明なエラーで強制終了することがある」「強制終了するとデータが初期化されてしまうことがある」。何だろうその、完璧なコンボ。ゲームは単調なのに、不具合がスリリングすぎます。
10000歩ゆずって、ゲーム内容に目をつぶったとしても( つぶれないけど)、この辺の不具合が解決されるまでプレイは絶対オススメしません。空でも見てる方がマシです。
この地獄絵図に、一緒に始めたフレンドもどんどんやめていきます。
「鳥も魚もどこへ行ったの…」「誰もいなけりゃあいさつもできない…」

それだけでなく会社として何かがヤバい…と思わせるエラーもあって、アプリを起動すると「にゃんくるりん」という同社のにゃんこパズルアプリのダウンロード画面に飛ばされるという意味不明の事態まで発生。「にゃんこをなでて仲良くなろう」じゃねえよ!これはあれか、ゴジコレで溜まったストレスをにゃんこで癒してね、というHEROZの気遣いなのか。何考えてんだ!
当然、このような不具合があるのでHEROZからお詫びコメントが出てるのですが、そのお詫びコメントを開いたら真っ黒。まさかのお詫びで無言。ちょっとゾッとしました。謝罪を通り越して一気に挑発まで行きました。すごい。
この運営のヤバさは何なんでしょうか。かつてあるスマホゲームで、わりとひどい運営に「このゲームは小学生2人だけで運営しているらしい…」という噂が流れて内心信じかけたことがありますが、ゴジコレの80倍マシでした。となると「ゴジコレは未就学児2人によって運営されているらしい…」という噂が流れたら信じそうです。

あと、いろいろと作品データに間違いがあるのです。キングシーサーはメガロゴジに登場しないし、ラドンはモゲゴジとは無関係です。この辺はオタクの口うるさいところなので、というかあまりにも他の問題点がクソすぎて、間違いは修正してくれれれば良いとすら思うんですが、愛も無いならせめて丁寧な仕事しろ!ということですね。

僕は開発者が夜逃げして納期に間に合わなかったんじゃないかと密かに想像しているんですが、とにかく出てしまったものは仕方が無い。とりあえずダメな物を連発して、まぐれで当たったもの以外は逃げれば良い、という現代的な悪しき考え方で作ったならその考えを捨てよう。まだ遅くない、と言う気はありません。だって遅すぎるから。間違いなく遅すぎる。でもやりましょう。それが成功する可能性は天文学的数字だと思います。でもやるんです。出したからにはやるんです。見えにくい所にも力を入れられる職人になって立て直してください。

だって『ゴジラ』はそういう心で作られて世界中の人の胸を打ったと思うからです。
『ゴジラ』の名を冠するなら、その心意気の片鱗だけでも持ってこれから作ってほしいと思います。

これにて僕のレビューは終わりです。
長文失礼しました。
最後に。
もしかしたらゴジコレは現代の暗黒面が生んだ徒花なのかもしれません。
何か大事な物を取り戻さないと、こういうクソな物はこれからも無数に作られ続けるでしょう。

「このゴジコレが最後の一匹だとは思えない。
もし愛のない粗製濫造が続けて行われるとしたら、 このゴジコレの同類が世界のどこかで現われてくるかもしれない…」

デヴィッド・ボウイと『私の死』

デヴィッドボウイが死んだ。
僕の世界で一番好きな人が。
僕はデヴィッドボウイが死んだら地球の回転は止まるもんだと思っていた。
少なくとも、僕自身に関しては仮にその情報を直接知らなくても体調に異変をきたし、何か超常的な力を持ってして彼の死を感知できるだろうと信じていた。
それほど好きだったのだが、しかし、地球は当然のように回転をやめず、僕自身も友人に知らされるまで普通の祝日を暮らしていたのが、自分はデヴィッドボウイの美学の外側にいたのかと哀しくなった笑。
アルバムリリースの数日後にこの世を去る、というあまりにも完璧な去り際で彼はいなくなった。
そんな完璧さ、現実世界ではムダだ。
しかし「人間には美学を築くムダがあり、それこそがすばらしい」と教えてくれたのはデヴィッドボウイで、同時にその裏側の醜さも軽薄さもボウイの音楽は教えてくれた。


デヴィッドボウイが死んだから、
これからたくさんの曲が引用されて、多くの追悼が出されるだろう。
ボウイのすべての曲は死に結びつけられるし、それだけの想像力の余地を残してくれていたのもまたボウイの異形…もとい偉業なんだ。
しかし、デヴィッドボウイの死に際し、この曲について、日本語で最初に書くのはわたしでなければならない。そうでなければ嫌だ。
デヴィッドボウイには、「My Death」(私の死)という持ち曲があったこと。
この曲はアルバムに一度も収録された事がなく、ボウイにとって世界に自らを売りつけた1972年(人類の歴史の中で僕が一番好きな年だ)の『ジギースターダスト』のツアーで演奏された。
唯一、ツアーの映像を収録した『ジギースターダスト・モーションピクチャー』でのみ演奏を聴く事ができる。
この曲はジギースターダスト&スパイダーズフロムマーズの1年半のツアーのセットリストから一度も外れることがなかった。
そもそもこの曲は、ジャック・ブレルというフランスのシャンソン歌手・作詞作曲家の曲のカバーだ。
デヴィッドボウイはトリックスターで、本質のようなものを持っていないことを信条としていて、簡単にはそれを見せない。
しかし本質を持っていないフェイクだけのものがこんなにも長く、人の心をとらえるはずが無いんだ。
たくさんの美しいフェイクに彩られたボウイの煌びやかなディスコグラフィーの中で、実はすべてを貫く彼自身の本質に肉薄し得た詩の1つが、これだったんじゃないかと僕は思う。
今、ボウイのファンにこの詩を読んでほしいが、ボウイで検索しても『My Death』自体がボウイの歴史の中ではマニアックな曲で、ネットにボウイバージョンの訳詞は見つからない。
『デヴィッド・ボウイ詩集 スピード・オヴ・ライフ』においても、この曲の訳詞は権利の関係で収録されていない。
僕は、まったくない英語力と翻訳サイトを使って、僕なりの『My Death』の「意訳詩」を作って、ここに置いておくこと。
それが、極東の島国に生まれた僕に出来る追悼だ。



『私の死』

ジャック・ブレル デヴィッド・ボウイ


私の死は古い車輪のように待っている


わかるんだ、わたしはその道を辿るだろう


死と、去り行く時に、口笛を吹こう



私の死は聖書の真理のように待っている


あの青春の告別場で


僕たちは、去り行く時に飲み交わそう



私の死は、闇夜の魔女のように待っている


それでも、わたしたちの愛は確かに輝く


さあ、去り行く時を思うのはやめて




扉の向こうに何があろうとも


天使だろうと 悪魔だろうと どうでも良いことさ


その扉の前にいるのは、


あなたなのだから




私の死はめくらの乞食のように待っている


真っ暗な心で世界を見ている


去り行く時の銭別をめぐんでやろうか




私の死はあなたの太ももの間で待っている


あなたの冷たい指が私の眼を閉じる


さあ、去り行く時を思うのはやめよう




私の死は友人たちの許しを待っている


終わりを迎えるまでの、束の間の喜びの時間


さあ、去り行く時を思うのはやめよう




扉の向こうに何があろうとも


天使だろうと 悪魔だろうと どうでも良いことさ


その扉の前にいるのは、


あなたなのだから




私の死は枯れ葉の中で待っている


魔術師の神秘の袖の中に


野うさぎや、犬や、去り行く時が。




私の死は花々の中で待っている。


黒い、何よりも黒い影の中に潜んでいる


去り行く時のためにライラックをつもう。




私の死はダブルベッドでも待っている


忘却の帆を張ろう


さぁ、シーツを持って 去り行く時を包んでしまおう




扉の向こうに何があろうとも


天使だろうと 悪魔だろうと 僕にはどうでも良いことさ


その扉の前にいるのは、


あなたなのだから




以上、
1972年のサンタモニカでのライブ盤の歌詞を参考にがんばって意訳してみた。
もちろん僕は別に英語はわからないので、大部分が想像による補強をした「意訳」だ。
完全なる間違いがあったら、ご指摘ください。。

この曲を書いたジャック・ブレルという人は、キャリアの絶頂の60年代後半に引退宣言を出しステージでの歌手活動を引退して、10年以上にわたる闘病生活に入った。
ちょうど絶頂でおこなわれたジギー・スターダストの引退宣言、そしてボウイの晩年のステージ活動からの引退とダブる。
そしてブレルはアルバム収録曲から漏れた没曲を「何があっても永久に発表しない契約」をレーベルと結んでいたほどの美学の人であり、僕はそこもボウイとダブって見える。
少なくともキャリアにおいて最も重要な時期に、決してセットリストからはずさなかったこの曲がボウイにとって核心に迫る曲であったのは間違いない。

最後に、
ボウイが死んだ時に不謹慎だけど
『DAVID LIVE』というアルバムがある。
もちろん「デヴィッド、生きる」という意味ではなく、デヴィッドボウイのライブ盤だ。
皮肉な事に、このアルバムのジャケット写真のボウイは、死人のように影が落ちた陰鬱な姿をしている。
その死人のような姿をボウイは気に入っていなかったらしく
「タイトルを”DAVID BOWIE is Alive and Well and Living Only in Theory”にすれば良かった」とインタビューで語った。
日本語にすると「デヴィッド・ボウイは健在で、理論の中にだけ生きている」となる。
デヴィッドボウイの歴史が、終わるのではない。
デヴィッドボウイのいた宇宙の歴史が終わり、デヴィッドボウイのいない宇宙の歴史が始まるのだ。



※全体に『デヴィッド・ボウイ詩集 スピード・オヴ・ライフ』を参考にしました。

アメリカンピッカーズ讃歌

最近、依頼がいくつかあって曲書き期間でデモ何曲か作る。
曲作りは頭使わないけど、アレンジとかデモ作りは意外と頭脳労働なとこもある(すごい適当な発言)。
そういう合間に重い映画とかを見る気にはならないので、できる限りバカ感あるものとか、何も起きないような映像を見たくなる。
そんなときに最高なのが『アメリカンピッカーズ』という番組で、これにいまものすごくハマっている

マイクとフランクっていう、冴えないおじさん2人の旅を追うリアリティーショー番組(って言うんですね)なんだけど、この2人が「ピッカーズ」、骨董品の売買で生計を立ててる「お宝探し隊」。
アメリカの片田舎にある倉庫とか納屋とかに眠るガラクタの山から「お宝」を見つけ出して買い取るアメリカ版『出張お宝鑑定団』みたいな番組。

ようするにマイクが石坂浩二、フランクが今田浩二なんだけど、
ただ日本のお宝鑑定団と違うのは、アメリカンは規模がバカでかいということ。
とにかく広いんや、アメリカ。
まして田舎には土地が有り余っていて、ガラクタ置き場の倉庫とかも体育館みたいな尋常じゃない広さ。
そこに突っ込まれた物量はとんでもない(映像見ないとイメージしづらいと思いますが、ほぼゴミ処理場のあの光景。)
そんな倉庫が敷地内に何件もあったりするから、見ていて底抜け感MAX。

さらに違うのは、ガラクタ度ケタちがい。
「アメリカ人ってなに考えてんだ!?」ってくらい乱雑に野ざらし雨ざらしであらゆるガラクタが置いてあって、コレクションとはとても呼べない。
これ、出てくるヤツのほとんどみんながそうなのがスゴイ。
キレイにガラスケースに並べてる人なんてほとんどいない。
「爺さんの代から面白い物を集めてはここに投げ込んでるんだ」とか「ゴミ捨て場で拾ってきたぜ」とか、とにかくワイルドで、ていうかほとんどゴミ。
しかし、そんなどこからどう見てもゴミみたいな物の中に、どこからどう見てもゴミなのに意外と価値があるお宝が混じってたりするから面白い。
サビだらけの車のパーツとか、触るのも嫌!ってくらい汚い看板とかも「汚れ具合が良い味出してるネ!」とか言って買い取るマイクは男前だし、しかもちゃんとアメリカでは価値があるらしいのがすごい。
アメリカって国のアンティーク観は本当に日本とぜんぜん違ってわけわからんけど、考えようによってはこれこそアンティークかもしれない。

出てくる「お宝」は、日本には絶対に無いものばかり。
アメリカっていう国はそもそも歴史が短いから、アンティークといっても100年ほど前の物が大半だ。
日本で言う「レトロ」とか「ヴィンテージ」に近い。
「ヨーロッパでは350年前のものもそれほど古くないけど、アメリカではものすごく古い」というようなことをマイクが言ってた(うろ覚え)。
値段にすると数千円から数万円、よほどの物でないかぎりせいぜい20万円くらいが上限のなんとも身近な世界。
昔の自転車や車のパーツ、おもちゃ、その他日用雑貨、家具、そしてアメリカ人っていうのはどういうわけかとにかくガソリンスタンドが大大大好きらしく、ガソリンスタンド関係のオイル缶とか看板がよく出てくる。
「子供の頃はガソリンスタンドを経営するのが夢だった」という良い顔したヒゲのじいさんが頻出するから、どうやらアメリカのキッズには憧れの職業だったらしい。
そんな日本人的には相当どうでも良いなぁ、という物に夢中な姿を見てるのが楽しいのだ。
そしてどれも、デザインが最高にレトロでカラフルでカワイイ。
逆に小難しいかんじの、アカデミックで高価な物がほとんど出てこない(そういうのは番組の最後に鑑定士が店に来て鑑定して値段がわかる。たまに超高値がつく)。
あくまでガラクタの中から身近なお宝を見つけ出して買い取るのが楽しい。

この番組のキモは値段交渉で、その場で熾烈な値段交渉、なんと現金即払いだ。
しかも買い取った物が実際にいくらで売れるかまでその場でアナウンスされ、ピッカーズが差し引きいくら儲かったのかまで見ている側にわかるようになってる。
このへんのエンタメっぷり、さすがアメリカ。
最初の一品を高めに買って流れを作ったり、まとめ買いで一気に買い取ったり、買い取り部分にもドラマがあって、うまくいかない値段交渉はハラハラするぶん、交渉成立の時の握手(毎回やる)は、なぜかものすごい達成感とさわやかさ。
マイクたちが儲かると、見てる側もなんとなーく得した気分になるというオマケ付き。
なんだかカネカネドルドルしてる嫌な番組に思えそうだけど、それがそんなところはまったくないのは、マイクとフランクの人柄によるところが大きいな。
このマイクたちは男気もあって、相手が安すぎる値段を提示してくると、「それでは安すぎるので倍出します」とか、決して相手に損はさせないフェアなヤツら。
そんなとこを見てるとかっこよくて、この生き方にあこがれてしまう。
対するコレクター陣も、一癖も二癖もあるやつばかり。
俺もあんな面倒くさいジジイになりたい。

たまにイベント回みたいのがあって、店番のダニエルっていう若い女性も出てきて大もうけしたり、大損こいたり、店を改築したり、外国に行ったりとか、そういうスペシャルな回もある。
でも基本的にはガラクタ漁り&値段交渉。旅旅旅。
いま、最高のストレス解消番組だ。
この番組はスカパーとかケーブルテレビのヒストリーチャンネルで見れるけど、あまり知られてないのか日本版DVDが発売されてないから見逃すともう見れない悲しい状況。
せめてDVDが見れるくらいには浸透してほしいので、これからも布教活動をしていこうと固く誓った。

この番組ハマってから、ますます「それ買ってどうするんだろう」という物を買うのに躊躇がなくなった。
そんなもので部屋があふれ出そうでも、気になったんだから仕方ない。好きならなおさら。
これとか。


(三つ目どころか五つ目になるスグレモノ)

いつかピッカーズが家に来て、買い取ってくれるかも。
簡単には売らないけど
その頃には、面倒くさいじじいだから。


シリアルキラースターシステム

悪の教典を見た。かなり壊れた道徳性で、映画として楽しい。エヴァQ(1本の映画として1800円払って良かったと思わせなかったらやっぱりダメだと思うんです。)よりも楽しめた。エンターテイメントしてる。
何がいいって伊藤英明が良くて、伊藤英明演じるサイコキラー蓮実聖司は、久しぶりに邦画に現れた魅力ある正統派なシリアルキラースターだったのが嬉しかった。
ちょこちょこホラーを見てきたけど、それでも驚くほど人が死にまくるので、そういうのが苦手な人はやめた方が良い。でも逆にあまりの投げやりな殺しまくりっぷりに最初は目を背けても、だんだんハイになってきて新しい自分を見つけられるかもしれない。あまり陰湿さは無い。

今日はダラダラ書くぞ。
 
映画の世界で、サイコパスの連続殺人鬼シリアルキラーの役というのは隠れた当たり役だったりする。
犯罪者の役はそれまでのさわやかなイメージを投げ打って、脱皮できるチャンスでもある。
もちろんそのまま埋没していくリスクもあるけれど、それでも数多くのシリアルキラースターが輩出されてきた。

現実世界でも連続殺人鬼には時折、奇妙なスター性やカリスマ性がくっついて回る。
"シリアルキラー"という言葉自体を生んだシリアルキラー界のスーパープリンス、テッドバンディ(30人以上殺害)は獄中で何百通というファンレターをもらってカリスマ扱いだった。
あの、リンゼイさん殺害事件の市橋被告にもファンがついていた、という話も聞いたことがある。

話を戻して、映画の世界では、レザーフェイスやジェイソン、フレディもシリアルキラーだが、あいつらはどっちかというと化物や亡霊サイドに片足突っ込んでるのでいまいちシリアルキラーって感じがしない(悪魔のいけにえは一番好きで一番気の滅入るホラー映画だけど)。

そんな中で映画界のシリアルキラーの真打は、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』『レッドドラゴン』のハンニバル・レクター。
非常に知能が高く、そのうえ身体能力も高い紳士。その恵まれたステータスが、消し去れないカニバル(人食い)への異常な執着を際立たせて、レクターの変態性を高めている。
ハンニバルという名前自体が人肉食の噂のある武将の名前から取られている。
レクターの異名 『ハンニバル・ザ・カニバル』は、『人食い・ザ・人食い』ってことだ。
映画第一作の無欠の完成度と、アンソニー・ホプキンスの最高の演技があいまって、今世紀最高峰のシリアルキラースターはお前だ!きみにきめた!

他にもブラッドピット主演の『セブン』に登場するジョン・ドゥも印象的なシリアルキラーだったなー。
キリスト教の7つの大罪をテーマにした殺人を次々慣行していくジョン・ドゥだが、まったく無個性、顔も覚えていない、というかほとんど出てこない。そこが逆に彼のすさまじさを印象付けている。
「ジョン・ドゥ」というのは「名無しの権兵衛」という意味合いで、身元不明の死体に付けられる名前だ。
つまり実体が無い。
この映画が凡百のシリアルキラー映画に埋もれないのは、ジョン・ドゥの名前のとおり最終的にその罪までが実体を失い人類全体に科せられるからだ。
ジョン・ドゥは、7つの大罪をモチーフに殺人を犯すが、自分ではそれを完結させない。
つづきは映画で。

大ヒットして、意味不明なほどに続編が出まくった『ソウ』シリーズの、ジグソウもシリアルキラースターの椅子にふさわしい大物だ。
ライアーゲームで激しくパクられてたビリー人形も有名だし、とてつもなく手間のかかった殺人ゲームにはジグソウの業の深さを垣間見させる。
そんな凶悪犯とはいえ、ジグソウにはどこかしら清廉としてヒロイックな魅力があり、そこがレクターともつながる部分がある。
演じたトビン・ベルには思わぬ当たり役だったと思う。
ところでジグソウには、後々に後継者と呼ばれる人たちが複数登場するのだが、こいつらがあんまりにボンクラでどうしようもない。
映画自体もすごい勢いでボンクラ度を増していって、かなり後半まで見たはずだがほとんど覚えてない。

最近の映画だとコーエン兄弟の『ノーカントリー』に登場した連続殺人鬼アントン・シガーはすばらしかった。
とにかく見た目がすごい。個性的な見た目のバビエル・バルデムが謎の黒髪19分けで怪しすぎる。
そして凶器がすごい。銃なんて生半可なものは使いません!なんとメインウェポンは酸素ボンベ!家畜を屠殺するための空気銃でスコーン!と相手の脳天を貫通する。警察もどうやって殺したのか首をかしげるぶっ飛びウェポンここに登場。
部屋の鍵もこの空気銃で吹き飛ばして侵入してくる。
そして、とにかく躊躇が無い。息を吸うように殺し、息を吐くように殺す。
にもかかわらず、シガーの中には確固たるルールがあって、それがヤツの異様さを加速させている。時として表か裏かのコイントスで、殺すか殺さないかを決める。このルールは絶対だし、交わした約束も絶対だ。利益が無くても殺すと決まった相手は殺す。
実質、この映画の主役はシガーでもあるし、ラストシーンのシガーはまさに不死身のシリアルキラースターだった。

もう一本、これは非常に惜し〜いシリアルキラーで、フランスの『ハイテンション』というスプラッター系のホラーに登場する殺人鬼だ。これを演じるのは『カルネ』の超個性派俳優フィリップ・ナオン。この人は名優。
突然、何の理由もなく田舎の一軒家に吹き荒れる暴力の嵐、汚く醜く凶悪な殺人鬼をパーフェクトに演じるフィリップ・ナオン。
この殺人鬼の登場シーンはかなり強烈で、こいつからの逃亡劇はむちゃくちゃ手に汗握る。屈指の名シリアルキラーだと思いかけた。
にもかかわらず!にもかかわらず!に も か か わ ら ず!
最後の最後で、どうしても許せない展開があるんだよなー。これはやっぱダメだと思うよ。チャレンジ精神は買うけどさー。シリアルキラースターになりそこねた男と言える。フィリップナオン、素顔はすごく良い人らしい。

日本の映画に登場したシリアルキラーはあんま思い出せないけど、園子温が実話を元にした『冷たい熱帯魚』の村田幸雄がとんでもない。
でんでんの熱演がすさまじすぎて、最初の殺害シーンは本当に怖くなった。
この手の金を目的とした殺人者というのは、そこまでシリアルキラースター界では評価が高くない気がする。
もっとどうしようもない動機、ある種の宿命のようなものに突き動かされているような犯人像が好まれる。
だけど、こいつはちょっと話が違って、あまりにインパクトがあった。
もはや金が目的を通り越して、完璧犯罪をやり遂げ神に近づくことにシフトチェンジしているような気迫がある。
「ボデーを透明にしちまえば、バレねぇよ〜」という怖すぎるセリフを吐くでんでんは、実際の犯人の写真にかなり似ている。
近年まれに見る日本産シリアルキラースターだ。

もう一人、大好きな金田一耕助シリーズからシリアルキラーを一人くらいは紹介したい。
美しい殺人者、には事欠かない金田一シリーズだが、強烈なインパクトのシリアルキラーというと『八つ墓村』の多治見要蔵を差し置いて他にいない。
幾度となく映像化された『八つ墓村』だが、ここであげているのは1977年の映画版。
金田一耕助を演じたのは、男はつらいよの渥美清。人情味あふれる金田一。意外と原作での金田一の描写は、美青年の石坂浩二より渥美清の方が近かったりする。
そして多治見要蔵を演じたのは、山崎勉。この人は20代の出生作が、日本の犯罪映画の金字塔『天国と地獄』の犯人役だから、日本を代表するクライムアクターとも言える。
このシーン自体は回想シーンで、かつて八つ墓村におきた惨劇、という感じで登場する。
劇中のこの事件は、実際に起きた津山事件をモデルにしていて、舞台も同じ岡山県。
桜吹雪の舞う中、猟銃と日本刀で武装した鬼の形相の山崎勉が村人を全滅させようとこちらにむかって走ってくるシーンはトラウマ確実。
マジで幼少期に見なくて良かった、と思うほどの迫力があって、日本の映画界に君臨するシリアルキラースターに認定したい。

あと、実際に起きた事件のそのまんまな映画化には、それはもちろん印象的な殺人者が登場する。
ジョン・ゲイシー、エド・ゲイン、ジェフリー・ダーマー、アンドレチカチーロ、ゾディアック・・・
枚挙に暇がないくらい映画化しているけど、これは外した。
そりゃ本物をそのままモデルにしてるから、リアリティが違うしな。

なぜこんなことを書いているのかというと、悪の教典を見てある部分が刺激されたからだ。
というのも中高生の頃は、よくそういう本を買ってビビってみたり、調べてビビってみたり、映画を見てビビってみたりしていたなぁと思い出した。
とんでもないものを知って、「世界って広いな」とか「人間ってすごいな」というのに近い感覚だったと思う。
それはシリアルキラーグルーピーが彼らにスター性を感じるのにも近い感覚なんだろう。
「自分にできないことをやってのける。それは、どこか自分の中の負の感覚を、ひいては人類の根源的な何かを代弁してくれてるのでは」という考えなんじゃないかな(今は、まったく見当ハズレだと思うけど)。
そして僕は、あのシリアルキラー系の本を買い集めたり調べたりしてしまう一連の行為は、もはや大部分の人が経験している思春期の通過儀礼なんじゃないのか、とすら思うんです。
あなたもやってませんでしたか?
または、現在進行形で。
忘れてたのに、思い出させたらごめんな。
そんなこと調べたことも考えたこともない、という健全な人は逆にアンビリーバブルですよ。
それで、これは中二病の案件だろうと思って中二病チェックリストというのを見たのに、意外にも載ってないなー。
でもあの一連の行為を行ってたあなたも、あなたの中のどこかに生きている。
そんなことを思い出しました。

そんなわけで突然、映画に登場するシリアルキラースターについて話をした。

その手の本から学んで覚えてることなんてほとんど無いけど、一つあるのは、生まれながらの殺人者はいない、ということ。
いわゆる利益もなく人を殺める快楽殺人者サイコキラーの9割以上が、幼少期に複雑な家庭環境で生きてきた経歴を持つ。
特別に異常な殺人者(つまり映画になるほどの連中)は、ほぼ例外なく常軌を逸した家庭環境で育っている。
シリアルキラーは、人が作るということ。あとは全部わすれた。


おやすみシャーロキアン

友人がシャーロキアンの大会に参加した話がすこぶる面白かったので、シャーロキアンについて調べてみた。
「人の話を使おうなんてふてぇやろうだ!」
ぜ・・・銭型のとっつぁん!
「逮捕だ!」
なんだこれ。
気づいたら他人が書いたみたいな瞬間があったりする。
ここはわたしの脳の外付けハードディスクみたいな空間。
ほうっておくと、だんだん文体が昭和軽薄体になっていきそうで怖い。
そのうち「たのCクレットシューズ!」とか言い出しそうでね。

ところで皆さん、「シャーロキアン」をご存知ですか?
知らない人は、ドヤ顔にしばらくお付き合いください。
知ってる人も、知らない体でドヤ顔にしばらくお付き合いください。

あぁ、この前電車の中で小さい子供が
「おとうさん、ドヤ顔ってどんな顔?」って聞いてた。
お父さんは「そんな顔はねぇよ!!」って答えてた。
威厳あるような、ないような。

本題だけど、シャーロック・ホームズを好きすぎて、ちょっと向こう岸にたどり着いた人たちが「シャーロキアン」。
シャーロック・ホームズは、コナン・ドイルの小説にでてくる架空の探偵さん。
設定的には、ホームズの助手ワトソンくんが送ってきた手紙をもとにコナン・ドイルが書いた小説ということになっている。

でもシャーロキアンは、シャーロック・ホームズは実在した人物だと信じ、彼が実在したつじつまを合わせるために日夜学問としての研究を重ねている。
彼らの組織は世界中にあって、100年の歴史もある。
小説(彼らは聖書研究にならって『正典』と呼ぶ)自体が、実在の人物ワトソンが執筆したドキュメンタリーでコナン・ドイルは出版代理人にすぎない、というのが彼らの考え方だ。

小説の一字一句、ときに誤字まで見逃さず、さまざまな説を繰り出してくる。
「この舞台はどこにある?」「この日の天気は?」「ホームズの収入は?」「乗った列車は?」・・・
研究成果は枚挙に暇がなく、ホームズは別に生まれてもいないのに詳細な伝記が出版されてしまった。

ここまで読んだら、こいつら頭おかしいの?と思うかもしれないけど、シャーロキアンは一種のジョークとしてこの学問を楽しんでいる。
いかに屁理屈をこねるかを楽しもう、という遊戯でもある。
だから真面目なだけの内容では支持されず、「面白くて知的」じゃないといけないんだそうだ。
「本気」と「ジョーク」の合間にいる境界線上の住人たちなんだ。
(本気100%の人も混ざってはいると思うけど。)
要するにガンダムの設定につじつまを合わせようとする人たちとか、サザエさんの謎を解き明かそうとしたりとか、そういう遊びを100年前からつづけているオタクの元祖みたいな存在かな。

そんなシャーロキアンは日本にもいる。
実は組織の大きさは1000人規模で世界最大だったりする。
というわけでシャーロック・ホームズを好きな友人が、最近シャーロック・ホームズ大会に行ったという。
「日本シャーロックホームズクラブ」というシャーロキアンの組織が開催しているホームズのファンクラブ大会だ。
そこに迷い込んだ新米ホームズファンが見た光景は・・・

「この『正典』のこのページに出てくる食器の一文!
これは時期と、作中の描写から推測するに、この中国産の食器と同じ種類のものが実際に使われた可能性があるのではないか!」

作中に一瞬出てくる食器の描写をめぐって研究者ルックのシャーロキアンたちが、議論したりうなずいたりザワめいたりする。
すさまじい空間がそこにはあった。
しかも、これ年2回開催。
ホームズの小説は新しいのは出ないから、いかに有限の資産の中で新しい着眼点を見つけるかっていうゲームになっているんだろう。
いやー、すばらしき世界・・・

思うに、彼らのスローガンはたぶんホームズの座右の銘だろう。

「私は、細かなことこそが何よりも重要なのだということばを格言にしています」

いやー、「人生というのは、人間が頭の中で考えるどんなことよりも、はるかに不思議なものだね」
ワトソンくん!

次は、参加してみたいと思う。

奇妙な依頼

この間、親族から奇妙な依頼が来たので受けた。

「部屋の匂いをかいでほしい」

う〜ん、これはなかなか珍依頼。
ホームズも金田一もびっくりだが、要約するとこういうことだ。
以前にアパートのある部屋に住んでいた人が、どうやらお香みたいなものを焚いていて部屋に匂いがついたらしい。
次の入居者の人は「変なにおいがして頭が痛い」という理由で出て行って、空き部屋になってしまった。
それで住めないほどに変な匂いがするか、何人かの知り合いにちょっと行って嗅いで欲しいと言うのだ。
あまりに匂うようなら壁紙を変える、という。

僕をはじめ数人がそこを訪れたようだ。
僕はちょっと違和感ありつつも匂いは気にならなかったので、別に大丈夫じゃない?と言った。
何人かの意見も同じだったみたいだ。
しかし別の何人かの人たちは「匂いがする。気持ち悪くなる。」と言ったという。

それで聞いてみたら、匂いがすると言った人はみんな女性、匂いが気にならないと言った人はみんな男性だった。
面白かった。
男性より女性のほうが嗅覚が優れている、というのは知っていたけど、こんなに大きな差があるなんてちょっと驚いてしまった。

結局、その部屋の壁紙を変えることにしたらしい。
でも気になるのは、それ本当に匂いだけのせい?ってことなんだけど・・・

なんにしても、エチケットに気を使おうと思いました。


真女神転生兇亮われた歴史




アトラスというゲーム会社の人気RPGメガテンシリーズの通算4作目『真女神転生供戮箸いSFCのゲームは、とにかくバグだらけだったことで有名なゲームだった。
購入して箱を開けた時点で「バグのおしらせ」の紙が入っていて「バグるからあれはするな、これはするな」という助言が書いてあるというゲーム開始前から暗雲たちこめまくるようなすごいゲームだった。

←スーファミ

 これらのバグのせいで本来の楽しみ方が若干損なわれていたので、10年後にPS移植版の発売が発表された時はメガテニストたちは涙を流して歓喜した。
「ついにまともなメガテン2がプレイできる!10年待ってた!」と。
このようにメガテンファンには必要以上にメガテンに身も心も捧げている狂信者が多いのが特徴だ。
 
しかし発売前からまたも暗雲がたちこめてきた。
延期につぐ延期だ。
2001年の初夏に出る予定だったのが、秋へ、冬へと、あれよあれよと延期していき実際に発売されたのは2002年の春だった。
長かった。
しかし、いくら待たされても「正常」なメガテン2がプレイできるなら…!
延期を耐え抜いてゲームを購入したメガテニストたちが目にしたのは、10年前をはるかに上回る地獄絵図だった。
 ゲームを開始してすぐに多くのメガテニストからネットに悲鳴が書き込まれていった。

「ゲームにすらなっていない!」

そう。次々巻き起こるバグに次ぐバグの嵐。
延期の末に発売されたPS移植版の真女神転生兇蓮▲丱阿鯒笋蠅砲靴討襪箸靴思えないほど、バグてんこもり、もはやバグしか目につかないゲームに逆進化していたのだ。
この驚異のバグ率を誇る最狂のPS初期版は、ドミネーター版、ドミ版と呼ばれた。
主人公がドミネーターというアイテムを手に入れた時に、「アレフはドミネーターを手に入れたドミネーター」という謎の語尾のあとにゲームがフリーズするという、悲しんでいいのか笑っていいのか怒っていいのかわからないシュールな場面が話題になり、そう名付けられた。

スーファミ版は後追いだったけれど、このドミ版が出た時は僕もリアルタイムで参加していたが、次々見つかっていくバグ、ついにはメモリーカードのデータがクラッシュするという魔王ベルゼブブ級のバグまで見つかり、メガテニストの怒りと失望、それを通り越して「クーフーはタルカジャをとなえたリン」などのどうしようもなく笑えるバグの数々、何が起きたらこんな狂ったゲームが純度100%そのまんま世に出たのかの尽きない疑問など、メガテニストたちはとにかく盛り上がっていた。
そしてアトラス側のバグを修正した「修正版」との全交換対応という異例の事態にまで発展した。

このPS版が最後まですごかったところは「修正版」にもばっちり一部のバグが残っていたことだった。バグゲーとして名を上げた10年前の悲劇が、拡大されてもう一度繰り広げられたのだった。

←プレステ

 そして2003年の夏。今度はGBAに真女神転生兇移植された。
メガテニストはあの惨劇が繰り返されるのかと恐れおののいた。
しかし三度目の正直、メガテンの神は(ちょっとだけ)微笑んだ。
正直バグは結構あった。たしかに結構バグはあったのだが、PS版のゲーム進行不可能になるほどの重度のバグは見つからず、今までで1番正常に近い(というのもどうかと思うが)真女神転生兇任△蝓▲侫.鵑呂笋辰箸修譴覆蠅頬足することができた。
いつか出るであろう「完全に正常な」真女神転生兇鯡憾ながら、GBA版を何度もクリアする日々がはじまった。

←アドバンス

 そしてスーファミ版から20年、ドミ版の悲劇から10年の記念すべき本年。
ついにiPhone版の真女神転生兇リリースされた。
これはGBA版の移植だ。
ということはGBA版の微妙なバグたちが調整されていれば、長年待ち続けた「完全版」真女神転生兇離螢蝓璽垢箸いΔ海箸砲覆襦
「ついにこの日が来たか…」、震える手で1200円もするアプリをダウンロードしたメガテニストを襲った衝撃は、20年前、10年前に相似したものだった。

アップルストアに寄せられたたくさんの星1個の低評価を読んで欲しい。
ユーザーを襲ったのは「落ち」の衝撃だった。
ゲームが途中で強制終了する、いわゆる「落ちまくる」現象が大部分のユーザーに起こったのだ。
今回は動作環境によるアプリ自体の不具合だった。
このバグは深刻で、ゲーム続行不可能になるプレイヤーもいた。
特にゲーム開始直後の最初のイベントに入るところで落ちる「トレーニング落ち」は恐ろしく、そこまでセーブするところもないため、回避不可能になると当然ゲームは進まない。
このiPhone版は、予測不能な「落ち」のせいで、いつゲームが強制終了するか怯えながらプレイするという「新時代のスリルゲーム」と化していた。
またも悲劇は繰り返されてしまったのだ。

←アイフォン
 
真女神転生兇蓮△ように「呪われたゲーム」である。
もともと世界中の神々や悪魔、妖怪などを倒し、使役合体するこのシリーズは、宗教に寛容な日本でしか絶対に生まれなかった冒涜的なゲームだと言われている。
それゆえに製作会社であるアトラスでは、やはりいろいろと怪奇現象が起こり、製作時にお祓いをするようになった。
92年に発売された真女神転生1では「主人公の住む吉祥寺の井の頭公園でバラバラ殺人が起きる」というイベントがあるのだが、2年後の1994年に実際に井の頭公園でバラバラ殺人が起き、犯人が見つからず迷宮入りした。

こういった謎めいたムードから、ゲームが始まると
「すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ……」
という赤いメッセージが大量に画面に現れる「呪われたバージョン」が6万分の1の割合である、なんていう都市伝説めいた話も囁かれたりした。
真女神転生兇療拿鼎覆襯丱阿函悪魔…本当に無関係だろうか…。




それについて20年前の真女神転生兇旅粁本にはこんなことが書かれている。
「グレムリン」の紹介記事だ。
グレムリンというのは比較的最近イギリスに生まれた悪魔で、機械にイタズラして故障させたりする。
北米では、グレムリンのイタズラで戦闘機や飛行機が故障しないように、納入の時に飴玉を一つ入れる風習があったりする。
攻略本のグレムリンの項目は、こんなふうに終わる。
 

「もちろんゲームのバグもグレムリンの仕業だ。」
 

言い訳すんな!!!


40周年

あがた森魚というミュージシャンがいる。
彼はなんともつかみ所のない音楽家だ。
とりあえず世に出たとき、下駄をはいていた。
4畳半、男女の同棲の哀切を歌った『赤色エレジー』でデビュー。
大正ロマン、世界旅行、タンゴ、稲垣足穂、稼ぎを全部突っ込んだ映画製作、商売のことを考えず8年かけて作ったLP3枚組(わずか450枚のみ!)・・・
彼は音楽で、自分の好きな物を追いかけるのにためらいがなかったんだろう。
そんなところに、ものすごく影響を受けている気がする。

高校生の頃、初めて聴いたのは『乙女の浪漫』で、『大道芸人』『電気ブラン』にやられた。
「この娘の生まれは北海道」で始まる口上とか、レトロな雰囲気が好きだった。
学生の頃、浅草の神谷バーに行って件の「電気ブラン」を頼んだときは感動した(かなり強くて、飲めなかった)。
『噫無情(レ・ミゼラブル)』『日本少年』も通学の時に繰り返し聴いてた。
いまだにこれを聴くと、通学の時の景色が思いうかんだりする。
一緒に『大道芸人』を演奏できたときは、とても嬉しかった。




40周年コンサートは、日比谷公会堂。
シチュエーションも素晴らしく、バンドメンバーもすごかった。
鈴木茂さんのギターは、相変わらずウルトラ快感ギターだった。

とても素敵なライブだった。
あがた森魚は、とにかくロマンチックでかわいらしい。
「星屑拾うルンペン、夜霧の片隅に」とは、この日もかけつけた鈴木慶一さんの『スカンピン』だけど、そんなムードだ。
まだ見ぬカンパネルラを夢見るジョバンニのような少年。
そういうことを再認識する一夜だった。
同時に不思議なほど、こういうイベントにつきものの、一区切り感とか、感傷とか、貫禄みたいなものが感じられなかったのが凄かった。
俄然、漂流中。
あぁ、この人まだまだ漂っていくんだな、と思った。
彼にとっては、40年ぶりに、ふと立ち寄った港町での、わりと楽しい夜の出来事、ぐらいなんじゃないか。
意識的にそうしてるんじゃなくて(あがたさんは頑張って昔の話をしたり、メンバーに出会いのことを聞いたりして40周年ムードを高めようとしていたんだ)、もうそういうふうにしかならないんだろう。
ひとところにとどまらず。
生き方なんだ。

個人的なハイライトは、『月曜日のK』と、あがた森魚ver.の『はいからはくち』かな。
大名盤『噫無情(レ・ミゼラブル)』のアレンジャー矢野誠さんが参加していたからこその選曲だった。
『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』『サブマリン』も楽しかった。
あと数曲、コーラスで蜜が参加していたんだけど、棒立ちのはっちゃんと、うにちゃんの怖いもの無しなコーラスが笑えたりもした。
最後にはステージ上が人であふれた。
なんとなく数えてみたら、23人+あがた森魚だった。

『ややあがた森魚デラックス』というドキュメンタリー映画で、あがたさんは繰り返しノーチラス号の模型を持ち出す。
『海底二万マイル』に登場するネモ船長の潜水艦だ。
ネモ船長は、海底を漂い地上の光に背を向けて、潜水艦で世界中を旅する漂流者だ。
最後はノーチラス号とともに海底へと消えていく。
漂流者、あがた森魚もまた、音楽の海底へと消えていくまで、ただ漂流漂流。
40周年おめでとうございます。
あがた森魚に拍手喝采。



はじめてあがたさんのライブを見たときにいただいたセットリスト。
『赤色エレジー』のシングル盤。



プラン9の空飛ぶ灰皿

人間いくつになっても勉強だと、昔のえらい人がほざいてましたが、まったくそのとおり。
最近、本を読んでで衝撃的な事実に遭遇しました。
 
『プラン9フロムアウタースペース』というB級SF映画があって、世に言うクソ映画の代名詞にまでなってる超ダメダメ映画で、監督のエドウッドって人は低予算の最低映画ばっか撮ってる監督として死後に逆に有名になった。
 
そのプラン9は、「何もないけど、とりあえずゾンビとUFOががっつり全部盛りですぜ!旦那!」って感じの、志のひくーい、ストーリーもあってなきがごとしのSF映画の成れの果て。
しかもただエンタメに走れば良い物を、後半に反核反戦のメッセージが本当に申し訳程度にちょっとでてきて、これがより志の低さを強調している。
 
まずセットが、普通の映画に慣れている我々の常識を根底から揺さぶるほどショぼい。
墓石の(つもりらしき)セットは、あまりにも軽くて、ちょっとの振動で簡単にズレる。
宇宙人の通信機は、本当に空き箱で作った夏休みの自由研究の範疇にとどまっている。
 
役者も、どうしようもない演技の俳優、女優、元プロレスラーが揃い踏み。
特に凄いのは、やはり往年の吸血鬼俳優ベラルゴシだ。
なんといってもこの人、映画の撮影期間中に死んだ。
出演シーンを全部撮り終わる前に死んだので、足りないシーンがある。もちろんストーリーが繋がらない。
いくつかのシーンは、他の吸血鬼映画の素材を切り貼りして無理矢理形にすることにした。その結果、ベラルゴシは別に吸血鬼の役でもないのに、吸血鬼の格好をしている変な老人になってしまった。
でも気にしない。さすが鬼才エドウッド。
家の中にいる時は夜なのに、次のシーンでは突然ぜんぜん違う場所の道でしかも昼、でも次のシーンには夜…というまったく繋がっていない杜撰な編集でも気にしない。
鬼才は心が広い(?)のだ。
 
しかし、それでも足りないシーンがある。頭を悩ませたエドウッドは、代役を立てて足りないシーンを撮影して繋ぐことにした。
でも、当然のことだが役者の顔が違うので、吸血鬼の顔が変わるというおかしなことになってしまう。さすがのエドウッドも、そこまで無謀なことはしない。どうするべきか…。
その時だった!エドウッドの頭に神の啓示が閃いて、天才的な解決策が思い浮かんだ。
 
なら顔を隠せば良いじゃん!
 
かくして、不自然に顔を手で隠したり、後ろを向いたりしながら襲い掛かってくる吸血鬼という、意味不明のシーンが何度も登場することになった。
 
このように、あまりにもトホホなストーリー、セット、衣装、演技、編集…と、欠点をあげればキリがない最低映画の帝王に恥じない質の低さを兼ね備えているプラン9。
しかしこの映画には、さらにもう一つ有名なエピソードがある。
これが本題、空飛ぶ灰皿だ。
 
そのシーンでは、おそらくエドウッドは空飛ぶUFOを撮りたかったのだと推測されるが、明らかに灰皿にしか見えない物体がクルクル回っている。
それを吊るしたピアノ線が、じつにハッキリと、まったく臆することなく自己主張している。あー、これは隠す気、もうぜんぜんないねー!って感じだ。
そのうえセリフでは、葉巻型のUFOだ!と、まったく見当違いのことを口走る始末。
 
 
この怖るべき低質な特撮シーンは、この映画の最低っぷりを伝えるときによく使われる有名なシーンだ。
 
だけどこの間、衝撃的な事実を知った。
灰皿を2つくっつけただけだと思われていたこのしょぼしょぼのクソUFOは、なんと実は改造されたプラモデルだったのだ!
つまり、一応ちゃんと用意されたプロップ(撮影用の小道具)だったわけだ。
灰皿じゃなかった!
 
これを知った時、かなり感動した。
だってわざわざ改造して用意した小道具が、あまりにもしょぼ過ぎて、灰皿だと勘違いされてきたって逆にすごくない!?
これ、本当に灰皿を使っているよりも、さらにダメダメなパターンだと思うんですよ。
 
この事実を知った時に、あーこの映画は今後も最低映画の帝王として君臨しつづけるんだろうなー、と思った。




追記。
エドウッドはこの映画を自身の最高傑作だと信じて疑わなかった。しかし、当然のことながらこの映画には買い手がつかず、映画を営業していたプロデューサーも疲労で死んでしまい、絶望したエドウッドはアルコールに溺れるようになり、次第に映画に対する熱意を失って、貧しさの中アルコール中毒で死んだ。彼には一つも成功した作品は無い。
死後、カルトな再評価を受け、エドを敬愛するティムバートンがジョニーデップ主演で伝記映画『エドウッド』を発表したことで、ついに認知された。


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